読んで友人との見解が180度違った書。
友人は当たり前のことしか書いてなくてどこがすごいのかわからない(大学の担当教授に勧められたのだ)という感想だったのに対し、当方は久々に感動した心がふるえた本であったとの感想を持った。
で、当方空気を読むとか、人の心をおもんばかるという能力がちょっと欠けているので、友人が“みんな”の前でつまらないという感想をいった後で、自信満々に感動したっ、と言ってしまった。まあ、当然場の雰囲気(同期の部屋で飲んでた)はしらけましたな。
全然凡事徹底できてないやん。空気を読むなんて基本中の基本やん。反省。
著者の鍵山秀三郎は
イエローハットの創業者。イエローハットといえば新人研修のさいにトイレ掃除研修をやらせることで有名だが(今もやっているのかな?)、確かにいい勉強になる。普段自分ではやらないが誰かが必ずやっていることってのがある。
いや、トイレ掃除は学校で掃除当番でやっていたけどね。でもあれは掃除にならんよ。ふざけ半分に棒たわしでこすって水流すくらいじゃ。
大学の研修施設をゼミの合宿で使ったときはすみずみまで掃除したからね。うちはそういうところに厳しいゼミだったから。
あん時、棒たわしでこすってたらそんなことじゃ汚れはおちんと、横から現れたやつが雑巾で便器をこするのを見て、あぁ、掃除ってこういうことなのか、と初めて理解した。便器を雑巾でこする経験ってのは、ささいなことなんだけど大きなことだと思う。
いまだに、そいつと会った時はトイレ掃除の話になってしまう。何回も話しているのにね。
大げさだけど、トイレ掃除をやる前と後では世界が違って見える。
子どもの時に初めて逆上がりができたとき。野球で会心のあたりを打てたとき。その前と後では世界は違って見えなかったか。
大人になってしまうと体を使うことがへたくそになってしまって、なかなか初めての逆上がりの経験ができない。
トイレ掃除ってのは初めての逆上がりなんだ。自分の体はこんなことができる。自分ってやつを確認できるんだな。
本当はこれぐらいのこと当然できるのに、思いこみや自意識のせいで自分とは違う領域にあると思っていることを、トイレ掃除っていう行為を通して、あらためて自分の体ができることを再認識できる。脳みそでなくて体で考える。それがトイレ掃除の効用。
逆上がりができて当たり前になってしまった大人は、わざわざトイレ掃除をしないといけないというお話。
全然凡事徹底の話になってないかも。まあ、自分のなかではつながっている話しなんで。
あたりまえのことをあたりまえにやる、ってことの難しさを知っている人なら間違いなく感動する本です。
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