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そういや、当方は神狩りを読んだことがないのだったと思い読み始めた。一気に読んだ。おもしろい。
とり・みきが学生時代にSFマガジンに載った神狩りを読んで天才だと思ったのもうなずける。
ただ、これが世に出た時に騒がれたのは、その時代性をのぞいて考えることは出来ないだろう。論理記号が二つしかなく、関係代名詞が十三種以上ある古代文字という設定は、今でも魅力的だが、古代文字の論理の検証がくわしく行われているわけではなくハードSFとは言い難い。というのは本書解説の大森望から。この作品について非常にわかりやすく、ためになる解説なので普段解説なんて読まない当方でもおもしろく読めた。
解説でもふれられているが、この作品の魅力のひとつに絶対者と挑戦者という対立のがある。“神”という絶対者に対抗する、非力だが己を信じて戦い続ける若者という構図だ。神狩りというタイトルそのままに、この物語は絶対者である神に対する挑戦が全編通して書かれる。神そのものは出てこない。神側の人間や、ときおり神の意志を感じられるパートが出てくるのみだ。あくまで神は、超越者として人よりも高次元のものとして描かれる。
その絶対者に対しては、あまりにも無力である人が挑む。
挑戦者はすべてを失う。職、社会的地位、友、師、愛した人。挑戦者に残ったのは絶対者への先の見えない戦いのみという救いようのない現実。それでも、挑戦者は戦う。何かのためではなく、己が信じるもののために。
挑戦者というのは挑戦するから挑戦者なのだ。
挑戦者がすべてを失うのは当然のことなのだ。絶対者と戦うにはよけいなものは必要ない。ただただシンプルな挑戦する己だけあればよい。必要なのは、戦い続けるだけの存在である己というものに耐えられるかだ。
孤独な戦いである。
とうとつに話は変わる。
仕事するさいにまず第一に保身を考えるやつは嫌いだ。やらなければならないことに対して、うだうだと予防線を張っているひまがあるなら、さっさと動けと思っていた。
保身第一では、大きな飛躍もないし、充実感も得られないだろう。
仕事で結果を出せる人は、何よりも自分のためになると思って働く人だ。自分のためと思ってチャレンジできる人だ。と長らく思っていた。
最近どうもな、と思う。
師匠がよく“世界一かわいい自分”と仰っていたが、そのとおりだと今実感している。己を信じるという言葉は美しい。だが、誰もが信じるべき己を持っているのだろうか。
自分のため、自分のためと背伸びの自分をつくりあげて、本来抱えきれないものまで抱えてしまうパンク寸前の状態。よく言えばがんばりやさん、悪くいえばええかっこしい。
自分のために働いていたとしても、事は自分一人で終わるわけではない。同僚もいれば、仕事相手もいる。自分のためにはなるかもしれないが、そのためにまわりの人に多大な負担をかける可能性は、少し考えればわかるはずだ。
人は自分にあまい。自分が思っているよりずっとあまい。
自分では相当がんばっているつもりでも、精一杯やっているつもりでも、どこかで自分を許している。許されるはずだと思っている。
ほんとうはそのがんばりは、ただがんばっている自分というものを維持しておきたいだけなのかもしれないのに。
自分のため、という理由でほんとうにがんばれる人がいったいいくらいるのだろう。
保身第一ならば、最初から無理はしない。自分では無理なものは、なんとか画策して他人にふるし、能力以上のことをしようとしない。
その姿勢は自分を成長させないかもしれない。自分のためにはならないかもしれない。
しかし、少なくともまわりに必要以上の負担はかけない。
できることをやり、できないことはできないとする。働く姿勢としては、どちらが正しいのだろうか。わからなくなった。
孤独な戦いを行えるのは、ごくごく一部の者だけだ。