最後の努力 塩野 七生 |
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ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスなど、ローマ皇帝が市民の第一人者であった最後の時代にスポットをあてた巻。(余談だけど、ファンとしては著者が入閣しなくてよかったよ。ローマ人の物語を書き終えてから入閣してください)
タイトルからもわかるとおり、ローマも終わりに近づいている。塩野七生がこのローマ人の物語で、一般に悪政と呼ばれている事象について、しかしそれも元をただせば善意からの政策だったのだ、と解説しているものが結構ある。
そうなのだ。世の中にはそうそう都合よく悪などない。どんな評判が悪い制度・政策でも、元を調べてみると正当と思われる要求に応えるためのものだったり、善かれと思っての施策だったりする。ただ、施行するものの状況認識の間違いとか不運とか、その他もろもろで失敗したものなのだ。
結果だけをみれば、なんでこんなものが形に……と思ったりするのだが、その結果のみをみて批判しても、あまり意味がないよなぁと最近つとに思う。他を罵倒して気張らしという効用はあるかもしれないが。
2兆円で返還か。それぐらいのものかな、と思う。まあ、財政が厳しいご時世なので2兆円を使うって事自体が通らないかもしれないが、2兆円で話がつくなら良い話じゃないかな。
こういう話の時、北方領土は日本の領土をソ連が不法占拠しているんだから、お金払うなんてとんでもないって意見は出てくると思う。それは正しい。が、正しいけどその正しさが問題を解決するとは限らない。
戦争によって失った領土の返還なんて、もう一度戦争をやるしかない。敗れた戦争なのだ、前回のは。そりゃ歴史上は戦争によらない領土の返還もあることはあるけど、基本的には領土ってのは戦争によって領有の正当性を復帰させるのが基本だ。近年、大国間で領土をめぐっての戦争が起こらないのは、コストに見合わないからだ。戦争を起こす、継続させるコストが高くなりすぎて、領土問題ではとても戦争など起こせなくなってしまった時代だからだ。
鈴木宗男が復帰して、怨敵外務省に対していろいろ行動しているけど、そもそも元になった北方領土での活動はどうして起きたか。
それは、大本である北方領土の即時無償返還という正しい国民の願いが非現実的だからだ。北方領土が不法占拠されている → ソ連(ロシア)けしからん → 北方領土を返還させろ!という思考経路はどこも間違っていない。いないが、では実際に返還させる方法は?という話までにはつながっていない。もちろんただの人である庶民に、そんな返還方法なんて思いつかないだろう。それはそのとおりで、ただの人である庶民にその責はない。
が、日本は民主国家だ。庶民のつぶやきは、国民の正当な要求として実施機関(この場合は外務省)は受けとめてしまう。だが、先も言ったように戦争ができない国家(まあ、それでなくても現代は戦争なんてできないが)日本において領土の返還というのは難しい。正当なる要求と要求の実現が難しい現場という乖離が現れた時、いかがわしさが生まれる土壌になる。
正当なる要求に対して、無理ですとむげに断ることは難しい。そういう場合、とりあえずの代わりの案で埋め合わせようとする。それがどれだけ現実的かというのは別にして。北方領土の場合は、四島住民との交流とかね。
理想と現実の乖離というのは、理想である正当な要求が正当であればあるほど、その間の距離を埋めるのが難しい。そうなったら最後、その間にはいかがわしい輩が跳梁跋扈することになる。
正当な方法でなくても良い結果は出せるかもしれない。だが、正当ではない方法といのは、最終的にはコストが高くなると思う。北方領土に建った施設とかね。
自分の善意が、結果として失政につながるというのは、床屋政談好きは良くおぼえておかないといけないことだろうなぁとは思う。
北方領土の返還というのは正当な要求である。だからこそ鈴木宗男は今回の選挙で当選した。そこには道民の実際には何もやってくれない国への反感があるからだ。
まあ、鈴木宗男の当選は、北方領土よりも経済の方だろうけど。北海道の落ち込みはひどいからね。うちの近所にも鈴木宗男が欲しいといってたおっちゃんがいた。まだまだ政府による経済への介入を支持する層というのは多いのだろう。
それにしてもあいかわらず、本の内容と一切関係ないな。はじめはもう少し関係する予定だったのだけど。書き始めるとあらぬ方向行ってしまった。ものすごくヒマなときがくれば書きなおそ。
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硬直する日露関係 今回も肩が凝るような露大統領訪日。問題の北方四島(歯舞、択捉、色丹、国後)を実効支配しているのはロシアであり、ロシア人が居住している。外交においては、「実効」とか「実質」とか「既成」といった、事実の積み重ねがものを言うことが多く、我が日