村上春樹のおもしろさ
美しい耳の彼女と共に、星形の斑紋を背中に持っているという一頭の羊と<鼠>の行方を追って、北海道奥地の牧場にたどりついた僕を、恐ろしい事実が待ち受けていた。一九八二年秋、僕たちの旅は終わる。すべてを失った僕の、ラスト・アドベンチャー。村上春樹の青春三部作完結編。野間文芸新人賞受賞作。(裏表紙あらすじより)
「でもそれは遅かれ早かれいつかは消えるはずのものだったんだ。俺や君や、それからいろんな女の子たちの中で何かが消えていったようにね」
肉体的ではないのだなと思う。
肉体感がないところが好きなのだ。
肉体的ではないといっても現実感がないわけではない。
肉体的で現実感がない小説というのもある。
本書を私は下巻から読んだ。
別段意味があるわけではない。
ただ単に下巻だと気付かなかっただけだ。
これが下巻であるということを100ページを過ぎたあたりで気が付いた。
表紙の(下)という文字を見るまでこれは上巻であると信じきっていたのだ。
この本をもう読んでいる友人からは下巻から読んでて内容を理解できなかっただろうと言われた。
だが私には読んでいる最中まったく違和感はなかった。
確かにいきなり出てくる人物の話題などさっぱり理解できない事柄などはあったが村上春樹の小説はそういうものだという気持が私の中にあった。
事実下巻から読んでいても十分おもしろかった。
つまりはそういうことなのだろうと思う。
村上春樹の小説は下巻から読もうがエンディングから読もうがいいのだ。
基本的には小説のおもしろさを決めるのはシナリオである。
だが、村上春樹のおもしろさはシナリオではない。
村上春樹のシナリオが悪いといっているわけではない。
むしろ村上春樹のシナリオはすばらしいと思う。
勘違いで下巻から読んでも、それはそれでおもしろいと思うことができる作家。
それが村上春樹なのだ。
まあ、そう思っているのは私だけかもしれないが。
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