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FC東京戦

一言で言えば完敗。いや惨敗の方がいいか。
終了前3分間で3点も入れられたのは無様としか言いようがないのだけど、その無様な3失点がなくとも見事なまでの完敗だった。サンフレッチェが勝てる要因がひとつもなかったよ。

あいもかわらず前線からプレスをかけられアップアップ。出すパス出すパスことごとくカットされる。正GK下田に頼りきりで下田がいない時は運任せにしていたチーム運営。

うーん、見どころがまったくない90分であった。

FC東京戦
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トランスフォーマー

ロボットが街中で暴れて大惨事なバカ映画じゃないか電波を受信したので行ってきた。
その通りだったのでだいたい満足。たまたまやっていたのが吹き替え版だったのだけど、これは吹き替えで見るべきだよ。できたらオプティマス・プライムじゃなくてコンボイって言ってくれたらもっと良かったのに。

だいたい満足したんだけど、ちくちくと気になったところが。子どもにも見せるためだけど、残酷描写が弱い。せっかくあんな恐ろしげなメカが街中で暴れているんだから、もうちっと……。あとストーリーにビタイチ期待なんぞしていないけど、わざわざ戦場を街中に選ぶ軍人って。街中でロボットを暴れさせたいという欲望は当然で、それがなけりゃこの映画成立しないのだけど、もうちっといい理由思いつかなかったのか。さすがに椅子からずり落ちそうになった。
実際の戦闘の場面は良かったけど。アメリカ空軍前面協賛ということで、ラプターまで出てたよ。そうそう軍隊が地球防衛隊じゃなくて実際の軍隊(しかも最新の)として活動してて、それも良かったな。

結論としては、日本向けにリメイクすればいいと思う。夏休みでガキが多かったけど、みんなナルトかレミー見てたので日本じゃトランスフォーマーは子どもに見せる必要はないんだよ!もっと血を!日本でも最近はむりか。

夕凪の街 桜の国

今度は映画。 原作と映画は別物と考えるのが精神衛生上よろし、と思ってて原作のイメージが壊れたと非難している人を見ると、まあ世の中いろいろありますがな、まあええやんとなだめてしまうのですが(なだめません)、本作は原作が良すぎるので、なかなかその戒めを守るのが難しかったな。

やはり、原作のコミカルな部分はかなり削られて泣き映画になっていた。あの原作の雰囲気で原水禁とかのチラシが舞い原爆スラムが存在する風景がいいんだけどな。
あと、お金がないのでCGとかムリというのはわかるのだけど、原爆の状況を当時の映像や子どもの絵で表すのはどうかなあ。自主制作映画じゃないのだから。しょうがないのかも知れないけど気になった。

良かったのは麻生久美子の演技でぐいぐい引き込まれた。hon.ninのインタビューで自ら夕凪の街 桜の国で役者として何かをつかめたように語っていたとうりすばらしかった。儚さを具現したような演技でした。

原作ファンと泣き映画嫌いってのがあるので気になる点がどうしても多くなってしまうけど、たぶんいい映画なのだと思う。思うというのは、私は広島の人間なので、原爆というと特別の思い入れがあるわけで。そこらへん冷静に見られないのですよ。途中かなりぐっときたし。広島の人間ならぜひに見る映画と勧められるんだけど、そうじゃない人にはどうなんだろう。自分が普段歩いている風景が映画の中に現れるってのは、楽しいのでよけい広島人むけ。

名古屋グランパス戦

もうグダグダ。見事にヨンセンの頭で決められた瞬間からイヤな感じでしたが、まさかここまでとは。コーナーキックから1点返し同点で前半を折り返したまでは良かったのですが。相手にPKを与えてしまうともはや打つ手なし。しまいにゃ杉本のスピードで突破されだめ押し。

見ててフラストレーションがたまる試合だった。
ところで、PKはどういう状況だったのだろう。ゴールから遠い席にいたのでよくわからなかった。あれさえなければ、と思ってしまうのはしょうがないよなあ。
グランパス戦

夕凪の街 桜の国

物語は、原爆投下後10年を経た広島から始まる。あの惨禍から力強く復興しつつある町並み、そこに暮らす人々。それまでと同じような日常を暮らす人々。だが、だからこそか、あのことについては誰も触れない。街のいたる処に、自分自身にあの時の傷跡が深く残っているというのに。
夕凪の街の主人公皆実は、半袖の服を着ようとしない。自分の腕に残ったあの時の傷跡を見てしまうからだ。 そんな皆実は、職場の同僚と心を通わすことになる。お互いの気持ちを確かめあった瞬間、あの時の風景が甦る。建物は中の人ごと潰れ、消えることのない火が街を包む。道も川も辺り一面死体であふれ、肉親でさえ見分けのつかなくなった様相の人々がさまよい歩く。自分に何が起こったのか、何を訴えればいいのか、何一つわからない人々のうめき声で埋まる、かつて街だった土地。
その中で、父を失った。妹を失った。友を失った。あらゆるものが奪われた日が、愛す者の後ろに見えた。

たまらず皆実は駆け出すほかなかった。あの地獄の光景が甦る。なぜ、自分だけ助かったのか。自分は生きていてもいいのか。あの風景を抱えたまま幸せになることなど出来るのか。

第二編桜の国では、その後の人々、被爆二世三世が主役となる。
時は平成16年。皆実の弟旭は、一家の主として被爆者の妻とともに娘七波、息子凪生を育てた。妻が亡き後は家族三人暮らしだ。
七波は、不審な行動をとる父旭が心配で尾行をする。出かけた父が向かった先は広島だった。あの時から60年。あの時のことは時が経とうとも終わることがなかった。

あの時

すべて失った日に
引きずり戻される
おまえの住む世界は
ここではないと
誰かの声がする

夕凪の街桜の国夕凪の街桜の国
(2004/10)
こうの 史代

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何度読んでも傑作である。傑作であるが故に語りづらいのではあるが。
私自身は被爆三世になる。だが、ずっと広島で生活していたからか、凪生のような苦しみを経験したことはない。当たり前だが、同級生に被爆三世なんてごろごろいたのだ。たいていみんな気にしていない。
ただ、それは私が広島に生まれ育ったからで、祖母の家に泊まっては、夜あの時の話を聞いた経験があるからだろう。広島長崎以外の人にとっては原爆など、遠い昔に落ちた爆弾であって、放射能という怖いものを浴びた人がいて、その子孫が今も生きている、というだけの話なのだろう。

被爆者も高齢化し、もはや亡くなっても大往生となり誰も原爆のせいだろうとは思いもしない。私が病に倒れたとしても、それは原爆の影響ではなく日頃の不摂生のせいだと周りからなじられるのが関の山だろう。でも、私が被爆三世なのは事実で、いつ死んでもおかしくない人間なのかもしれない。

もはや、もう誰もわからないのだろうと思う。過去には、自分が被爆者と知られるのを恐れて被爆者手帳を申請しない人は大勢いたが、今や医療費負担をしてくれる手帳を誰もがほしがり、あいつは被爆してないのに手帳を持っているなどの陰口が流れる。あの日を生き残り、その後も幸福にも長寿を得た今、あの時の記憶を抱えたまま、変わらない日常を送らねばならない。
認定被爆者の基準についての裁判が進行中であるが、あれも金が欲しいのではなく、あの時受けた衝撃を、心の穴を、何かによって埋めたいのだと思う。

市内を本通りなどを歩くとき、思うのだ。ほんの昔ここは地獄だったのだと。自分の足下には幾重もの死体が埋まっているのだと。
だが、思うだけだ。すぐに変わらない日常のもと歩き出す。

原爆は語りづらい。

廣瀬純 野球日記

8月6日付けの記事なのに他に言うことはないんですか?
というお叱りのコメントでした。

私が原爆を語りづらいのは、「原爆の日」自体を他者への攻撃材料にしてしまう人がいるからだ。
もはや被爆者ですら、あの時の記憶を傷を思いを、どうにも出来なくなっているのだと思う。あの時の光景を抱えたまま、生き続け子を為し、育て親としての仕事を終えた後、ふと振り返ってみると原点にあの時の光景がある。その気持ちは、本人でない私にはとうていわからない。あの時の光景を幼い私に語る祖母の目を、私は忘れることは出来ないだろう。

そういった、原爆に対してどうにもならない気持ちが、平和記念資料館やはだしのゲンに代表される直球の表現ではなく、複雑なそれでいて深い傷として表現した本作に共感できた理由だろう。

もう少しすれば、あの光景を目に焼き付けた人たちはいなくなる。その子どもたちである私が、何をすればいいのか未だにわからないけれども、祖母たちのように生き続けていかねばならないだろう。この夕凪の街で。


夕凪の街桜の国

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書評/歴史・時代(F)

オレにもそんなころがありました。

心の闇

オチにうけた。
私も意味もなくカープの選手のサイン書いたな。現物見たことなかったのに。

そういや、今読んでいる宮部みゆきの『楽園』も子どもの落書きのようなノートブックが主発点だ。模倣犯のその後の世界で起きる出来事ということなので期待して買ったが、やはりおもしろい。じっくりと読みたいけど、ついつい読み進めてしまう。

今日一日暇でした。

ので本社行って油売ってた。でもあっちは忙しそうだったな。

はてなスターTシャツ欲しい!

クチコミのチカラ

自分の購買行動を考えると、ネットをかなり頼りにしてるよな、と思う。
ちょっと高い買い物の場合、店頭で現物を確認→よさげなものを選定→帰宅後ネットで調べる。という行動パターンができあがっている。ま、ネットの評判がいいから即買うわけでもなく、ネットでの評判が悪いから買わないわけでもないんですが。たた、店の店員の説明だけではなくネットでの評判も一応チェックしないと損した気になるんですよね。気だけなんで、大した意味があるわけじゃないのですが。

あれか。知人が楽天で詐欺にマヌケにもひっかかり(秋葉原OG商会)、事の顛末を聞きゲラゲラと一通り笑ったあとで、なんでそんなとこで買うたんと聞くと安かったからまあいいかというのと、騙されたら日記のネタになると思ったと自嘲気味につぶやいたものでした。

総表現社会とかなんとかよくわからん社会が訪れてからこっち、ひどい商品をつかまされたショックから立ち直る方法として、友達にグチるという以外に個人サイトでネタにするというのもあるのか。

まあ、気持ちはわからんでもない。物を買って、しまったと思うのは自分で、悔しいのも当然自分だ。いろいろと後悔する。やはりもう一つの商品の方にすればよかったか、もっとしっかり店員に聞いていれば、もうちょっと冷静になれていれば普段こんなもん使わないのはガキでもわかるだろうに等々。そういった後悔の中に、買う前にネットで調べておけば、というのが加わったのだ。必須ぐらいに。
ある程度の対価が必要となる商品の購入時には、あとで後悔したくない納得して購入したい、という気持ちが非常に強い。だから、ネットのクチコミを調べるのは、自分自身を納得させてすっきり買い物したいからというのもあるよな。
もちろん、これは私の話で、店員やカタログなんかよりネットのクチコミ最強と信じている人もいるだろう。私だって、まったくネットのクチコミを信用していないのなら、自分自身を納得させるための材料なんかにはしない。

そういったネットのクチコミをマーケティングにどう生かしていくか、というのが本書のテーマ。
80年代と現在の消費者の購買行動の違いをあまりにもわかりやすすぎる例題で示し、ネットのクチコミを語る時には非常に有名な波乗りジョニーを紹介する。ネットに対して懐疑的な人にプレゼンする際にそのまま使えそうな入りだ。
次に具体例として、デジャヴュ ファイバーウィッグと、そのクチコミの現場として@COSMEを紹介する。広告が非常に重要な化粧品だけに、成功例として説得力がある。
ネットのクチコミの力を説明した後は、ネットのクチコミのメカニズムを解説する。影響力のあるクチコミの発信者「インフルエンサー」を中心に、クチコミが広がっていく課程と効果が述べられていく。ケーススタディとしてあげられているのはSONYのVAIO type Uだ。これが出たとき私もつい買おうかなーと思ってしまった一品。かっこいいんだよね。SONYはマーケティングがすごい起業だと思うのだけど、taype Uを売り出すときにどれだけネットでのクチコミを意識していて、どういう施策を行っていたのか。PC等のデジモノはネットとの相性が良い。ブロガーに対してのプレゼンテーションを開く、担当者がblogでtype Uについて書き情報提供を行う。その内容がブロガーの興味を引くものであれば、自身のブログで記事にし、その記事を見たブロガーがさらに記事にするという連鎖がおこる。これがネットのクチコミの威力である。

ネットに興味がある人なら誰が読んでもおもしろいだろうが、一番の良い読み手は、うちもいい加減ネットでの広報活動に本腰を入れたいな、と悩んでいる担当者だと思う。


クチコミのチカラ

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