リンク先にて
京極夏彦さんの「姑獲鳥の夏」のトリックに「アホかー!」と本を壁に投げつけた人は大勢いるでしょう
との記述を見て、あーそうなのかぁ、とデスクトップ前でうなってしまった。
いや、この作品大好きで大学時代に出会ったときの衝撃はいまだに忘れられない。寝る前にちょっとだけ読むつもりが止まらなくなり朝まで読み続けそれでも読み終わらなかったので、朝一の講義中まで読み続けてようやく読了した作品だった。それまで読書というものをあまりしてこなかった私にとっては、一晩中読み続けた本というのは衝撃的でした。
読みはじめた当初は、この蘊蓄すげーおもしろいんだけど、いつになったら本編始まるんだろうと思っていましたが、最後まで読みすすめて最初の蘊蓄自体が物語を構成する骨子になっていたのだと気づいて、やられました。最初の蘊蓄語り自体がトリックだったのだなと、読み終えて講義中の机に突っ伏して眠りながら幸せな読後感に包まれたものでした。
その後、少しずつ本を読むようになり、ミステリ作品も読みました。ミステリは得意なジャンルではないのであまり読んでいませんが。それで、京極さんの作品は「ミステリ好きを自認する人」にとってはあまり評価されていない作品なのかなぁと頭の中でぼんやりとは考えていました。いましたが、自分の好きなものっていうのは盲信するんでしょうね、心の根っこのところでこの作品は誰でもおもしろいと思っている、という根拠のない思いこみをしていました。そのことをリンク先の記述を見たときに自覚したんですね。盲信してるものってのは普段意識のうえにはのぼってこず、無意識の中にひそんでいるのでしょう。それは、外部の具体的な形を持ったものを見たとき、意識のうえの理性的な考え方と無意識からのぼってくる感情のズレによって自覚させられます。
私は自分のことを一歩引いた視線で物事を見てる人間だと思っていたけど、その実自分の好きなもの信じているものにはとことんあまいのだ。なんてことを考えてしまいました。
仕事上手くいかず落ち込んでいたところ給料も下がるという……
悲しい日々が続いております。
車椅子マークと言えばなんとなくわかる人も多いかと思いますが、正式名称は国際シンボルマークと言います。よく誤解されていますが、国際シンボルマークというのは個人の車につけるものではありません。ほんとうの障害者であっても同じ事です。
国際シンボルマークというのは↑これのことです。みかけたことがある人も多いんじゃないでしょうか。
これは障害者が乗る車につけるマークではなくて、障害者が問題なく利用できる施設、車両につけるものなのです。車両といっても目的の趣旨からしたら公共交通機関ですね。
権利を持っているところが、うるさく言わなかったからみんな好き勝手に貼っているのが現状ですが、本来自分が所有する車に貼るのはマークの趣旨からはずれ意味がないのです。
言ってみれば、赤ちゃんが乗ってますシールと一緒ですか。あれもなんの法的根拠もないですし、だいたいになんの効果があるんだ、あれ。
別にそんなシール貼らんでも、おまえの車にぶつけたいとか思っとりゃせんわっ、て怒りつつも車間を開け、割り込んでくる車に、外部スピーカーで前の車は赤ちゃんが乗ってます。だから私は車間を開けているのです。あなたも開けなさいと指導し続ける言語指導者マンというギャグを須賀原洋行が書いてたっけ。
この国際シンボルマークは財団法人日本障害者リハビリテーション協会が商標権を持っており、またリハビリテーション協会総会という国際会議で採択されたもので、名前の通り日本固有のものではなく、世界共通のマーク*1です。 くわしくは公式サイトがあるのでこちらで。
公式サイトでも
個人の車に表示することは、国際シンボルマーク本来の主旨とは異なります
ときっちり書かれています。
まあ、障害者といっても色々ありまして、障害者といったら障害者手帳を持っている人ってのが一番に思いうかびますが、障害者手帳を持っている人全員が広くて施設から近い駐車場が必要なわけじゃありません。むしろ高齢者で足腰が弱っている人なんかは近くて広い駐車場はありがたいでしょうが、足腰弱ったというだけでは障害者手帳は発行されません。介護保険の対象にはなるかもしれませんが。
だから障害者専用駐車場の問題ってのはなかなかに難しいですね。趣旨が違うシールで判別なんて論外ですし、障害者手帳で区別すれば一番公正かもしれませんが、障害者手帳を持っていない弱者はそのルールだとはじき出されてしまいます。一番いいのはモラルによって運用されるのが理想的なんですが、モラルという言葉でカバーできない状態になってきたから毎日新聞の記事にもなったのだろうなぁ。
本の内容としては、ペストや梅毒当の感染症が(主にヨーロッパの)歴史にどれだけ影響を与えたかを序盤で述べ、感染症は人の社会に大きな影響を及ぼすものであり、我々にとっても深く考えなくてはいけないものだと説く。本書後半では鳥インフルエンザに関することに言及し、これが社会全体に多大な脅威を与える可能性が高く、早急に対応していかなけらばならないと結論づける。
鳥インフルエンザは興味を持っていたのだが、それは疫学についての興味ではなく、畜産関係によるものが大きかった。だいたいに文系な私では、ウイルス学とか理解できないし。どうにもアルファベットとか数字がならんでいるウイルスの説明見るだけでダメだ。
本書は私の好きな歴史という観点から書いているのでこれなら読めるかな、と手を出したものである。予想通り読めた。
著者の肩書きである国立感染症研究所ウイルス第三部研究員というのを考えると、本書の目的は鳥インフルエンザの脅威の啓蒙なんだろうなー、と思う。や、それ自体は別にどうとも思わないのだけれども、どれだけ効果あるんだろうなーとは思う。これは新書とかそんな感じの本読んだときにいつもおもうことだが。
ま、少なくとも私には役に立った。あれに罹ったら鳥全部処分しなくちゃいけない、人に感染したら死亡率が高いくらいの知識だったんで、新型インフルエンザは抗体を持つ人がいないのであっという間に感染するとか、今まで世界的な大感染を起こしたスペインかぜなどのインフルエンザは、実は毒性が低い型で、今回話題にあがっている鳥インフルエンザ毒性が非常に高く、この毒性のまま鳥インフルエンザから人インフルエンザに変異した場合の被害は過去の大流行よりも甚大になる可能性があるとか、勉強になった。こういった知識は少し調べれば手にはいるのだろうけど、頭に入んないのね。理系的な文章苦手だし、専門用語多いとそれだけで引いちゃうし。その点本書はとっかかりに私の好きな歴史を使っているのですいすい読めた。歴史好きで鳥インフルエンザに興味があるって、そんな人間が私以外にいるかどうかは知らないけど、もしそうなら楽しく読めると思います。
行ってきました今年初のプロレス観戦。仕事やもろもろのストレスを発散するにはプロレスで叫ぶのが一番です!
第一試合
○土井成樹,吉野正人 VS キング・シーザー,トゥルボ●
ドラゴンゲートの外人レスラーを初見。いやー、良かった。どちらもドラゲーらしくクルクル回ってスピード感があるドラゲーらしくて違和感がまったくありません。違和感がなさ過ぎてせっかくの外人レスラーってキャラを生かしきれてないような……
でも、また見たいな。いつまでいるのかしらないけど、また広島に来るときにはぜひ。
第二試合
○谷嵜なおき VS カツオ●
新人養成試合その1
谷やんがかっこよかった。立ちはだかる壁が強ければ強いほど、非力な新人が無謀にも立ちむかう姿ってのが引き立つよね。まあ、あんまり強すぎる壁だと引いちゃんだけど。
第三試合
○マイケル岩佐,ダニエル三島 VS アンソニー・W・森●
マイケルがダニエルの犠牲のもと勝利。あいかわらず無敵コンビ。
第四試合
○ドン・フジイ VS トザワ●
新人育成試合その2
デビュー戦と同じ組み合わせやな。うーん、個人的にくるものなし。
第五試合
○CIMA,鷹木信悟 VS 堀口元気,B×Bハルク●
あいかわらずCIMAとか筋肉すごいなぁ。どうやったらあんなんなるんだろ。
堀口さんの試合はあいかわらずおもしろい。観客を盛りあげるのがうまいんだよね。ドラゲーで一番好きなレスラー。
H・A・G・A ハゲっのかけ声がいつも一番盛りあがるからなぁ。
第六試合
○斉藤了,ドラゴン・キッド,マグナムTOKYO VS 横須賀享,望月成晃,新井健一郎●
や、もりあがったね。チャンピオンとなり充実期にある斉了が目立ちました。
めずらしくマグナムTOKYOが先鋒に。*1
その後は六人タッグマッチらしく次から次へと選手がいれかわり飛びまくり。たんのーしました。
久しぶりのグリーンアリーナだったけどあいかわらず客の入りはいまいちかな。やっぱり福山の方が箱的にぴったりか。余談ですが、今日はたにまちの連れてきた客が多かったぽい。途中でいまいちよくわからん花束贈呈とかあったし。うーん、おもしろいからもっと一般の客にも来て欲しいよ。席がたらないくらい。
あ、あと堀口元気選手のモノマネのレパートリーが増えてましたw
荒川静香選手のイナバウアー。出した時微妙な空気が流れたんで、次からは誰かイナバウワーーー!ってつっこんであげてください。
私は大学時代、バイトをほとんどせず親からの仕送りを主な収入として過ごしていました。
同期の人間にも仕送りなし、自分で生活費授業料を払っている人がいて、今時分この大学にそんな学生いるんだとたじろいで見てました。
親のお金でお気楽極楽な学生生活送っている自分を思い、彼に負い目というか、劣等感を感じていたんでしょうね。三流文系大学の気楽さで自分の好きなことばっかやって、まあ卒業後は地場企業に、なんて脳天気な毎日を送っていた私にしたら、あいた時間はバイトで稼ぎ、眠気を惜しんで講義に来る彼を見るだけで心苦しくなるものでした。
別に大学なのだから自分の好きなことをしてりゃいいはずだよなー、と自分に言い聞かせるものの、心は晴れません。もちろん、彼は苦学生オーラなんて出しておらず(学費うんぬんの話も他の人から聞いた)ごく普通に振る舞っているのですが。心苦しく思ってしまう私が誤っているのでしょう。
どうにか、お気楽に仕送り生活している自分を正当化しようと大学四年間頭を悩ましていたのですが、結局のところ、まあ人は人、オレはオレだし、などというどうでもいいところで折り合いをつけるくらいしか思いつきませんでした。
ま、たいしたことを思いつかなかったのは、もとが脳天気な頭をしているので、メシ食って寝ればたいていの不安を忘れてしまう当方の性格によるのでしょうが。