スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

神狩り

何のために

4894564416神狩り
山田 正紀

角川春樹事務所 1998-08
売り上げランキング : 37,493
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

そういや、当方は神狩りを読んだことがないのだったと思い読み始めた。一気に読んだ。おもしろい。 とり・みきが学生時代にSFマガジンに載った神狩りを読んで天才だと思ったのもうなずける。

ただ、これが世に出た時に騒がれたのは、その時代性をのぞいて考えることは出来ないだろう。論理記号が二つしかなく、関係代名詞が十三種以上ある古代文字という設定は、今でも魅力的だが、古代文字の論理の検証がくわしく行われているわけではなくハードSFとは言い難い。というのは本書解説の大森望から。この作品について非常にわかりやすく、ためになる解説なので普段解説なんて読まない当方でもおもしろく読めた。

解説でもふれられているが、この作品の魅力のひとつに絶対者と挑戦者という対立のがある。“神”という絶対者に対抗する、非力だが己を信じて戦い続ける若者という構図だ。神狩りというタイトルそのままに、この物語は絶対者である神に対する挑戦が全編通して書かれる。神そのものは出てこない。神側の人間や、ときおり神の意志を感じられるパートが出てくるのみだ。あくまで神は、超越者として人よりも高次元のものとして描かれる。
その絶対者に対しては、あまりにも無力である人が挑む。

挑戦者はすべてを失う。職、社会的地位、友、師、愛した人。挑戦者に残ったのは絶対者への先の見えない戦いのみという救いようのない現実。それでも、挑戦者は戦う。何かのためではなく、己が信じるもののために。

挑戦者というのは挑戦するから挑戦者なのだ。
挑戦者がすべてを失うのは当然のことなのだ。絶対者と戦うにはよけいなものは必要ない。ただただシンプルな挑戦する己だけあればよい。必要なのは、戦い続けるだけの存在である己というものに耐えられるかだ。
孤独な戦いである。

スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。