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ただいま

帰ってきました。博多から

九州国立博物館:外観写真

新しくできた九州国立博物館へ行く。が、人が多く入館までに一時間かかるという!
うーん、これは来年あたりの閑散とするであろうころ再訪することにし、梅枝餅を食いながら太宰府天満宮をぶらつく。
夜は中州で痛飲し、飲みつぶれる。相方は店を気に入り来週も来ようと言いだす。全部お前さんのおごりならなっ。

というわけで疲れたので寝ます。おやすみ。

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良いなぁ

恐るべき旅路

星空を見あげて

タイトル恐るべき旅路 ―火星探査機「のぞみ」のたどった12年―
販売:朝日ソノラマ 松浦 晋也
価格\1,400 (定価:\1,400)
媒体:単行本
通常1~2週間以内に発送
おすすめ度★★★★★
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当方がものごころついたころ、祖父はすでに働いておらず家にいるおじーちゃんだったのだけど、大工だったらしい。どおりでうちには工作用の用具が多いと思った。まあ、今はさすがに祖父時代からのってのはほとんどないけど。
それが関係しているかは知らないが、技術屋さんへのあこがれってのは昔からあった。
自分の腕一本で生きているというか、己の仕事へのプライドの持ち方とか。後、一匹狼ぽいのだけど変に義理堅いみたいなところ。
だが、あこがれはあこがれであってラジオの解体もろくにできなかった当方には技術屋さんへの道は遠く、なまけものの当方にぴったりの給与生活者として生活しております。
プロジェクトXも技術屋さんの回が好きだったのは、ここらへんが原因でしょうな。

まあ、街の大工とロケット工学はまったく違うのだろうから、一緒くたに語るのはダメでしょうけどね。でも、本書を読んで当方があこがれていた技術屋さんたちと同じ臭いを感じたんですな。少ない予算と限られたチャンスと制約。困難に対して己の能力を信じ立ちむかうのぞみプロジェクトチーム。熱い、いいねこの展開。
惑星探査機やロケットに関して勉強になる記述が豊富なのですが、当方みたいななまけものはそういうお勉強になる箇所を読むのが苦痛だったりする時があるのですな。でもプロジェクトチームに感情移入して読める展開のおかげで、彼らが立ちむかっている困難の度合いを知りたいという欲求が勝り、さくさくと頭の中に入りましたよ。

失敗した事業の本ということで興味を持って買ったわけですが、結局のぞみが失敗した根源はお金がないってことですね。あさりよしとおのマンガワッハマンで、ロケット打ち上げの失敗会見で打ち上げ責任者が記者の質問に予算がないせいですっ予算がないせいですっ予算がないせいですっ、ってのみ言って問題をうやむやにというシーンがあったけど、あれって宇宙事業関係者にとってはあまり笑えない話なのかもなぁ。
宇宙開発なんていう庶民には直接の恩恵がない事業を進めるには、広大な宇宙に挑む我々っていう物語が一番わかりやすいのじゃないかな。宇宙に夢を取りもどせってな感じで。

夜空の星がきれいな季節です。窓の外の星を見ながら読むにはぴったりかも。

関連リンク

松浦晋也のL/D著者のブログです。小惑星探査機のはやぶさに関する話題が豊富。

タイトル月をめざした二人の科学者―アポロとスプートニクの軌跡
販売:中央公論新社 的川 泰宣
価格\819 (定価:\819)
媒体:新書
通常24時間以内に発送
おすすめ度★★★★☆
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本書にも出てくる的川泰宣さんの著書。こちらも宇宙を目指す男たちの物語です。おすすめ。

FC2ブロガー度チェック

FC2ブロガー度チェック

結果、70%でした。間違ったのは問1,問7,問9です。結構カンがあたった。問8なんかさっぱりわからなかったもの。
しかし、FC2謹製のカウンターを使っているのに名前を間違うとはなさけない。いかに当方に注意力と記憶力がないかの証左だなぁ。

散財

iPod


iPodを買ってみた。
さて、どうやって操作するんだろう?
デジモノに弱い私。。。

とり・みきの映画吹替王

とり・みきの映画吹替王
とり みき

本書はスカイパーフェクトTVで放映された、とり・みきによる吹替俳優インタビューを中心にまとめられたもの。出演者が豪華なのでファンは要チェック。
出演者:大平透・中村正・矢島正明・小原乃梨子・宮部昭夫・家弓家正・納谷悟朗・森山周一郎・小林清志・富田耕生・池田晶子・大塚周夫・原脩・野沢那智・鈴木弘子・玄田哲章・江原正士・広川太一郎・ささきいさお・羽佐間道夫・山寺宏一・若山弥蔵

当方がおもしろがった話

  • 原脩さんが攻殻機動隊の荒巻大輔に惚れこんでやっている
  • 野沢那智さんが、イーストウッドをやった時に山田康雄さんに似せてくれと言われた話
  • そして広川太一郎さんの話
  • あと、羽佐間道夫さんの項で、とりさんが『特攻野郎Aチーム』のDVDは吹替がついてないと憤っていたけど、確かにあれ吹替じゃなかったらおもしろくないよ。好きな作品だったので買おうかなぁと迷っていたんだけど。吹替ないのだったらいらない。

ある所で、映画を吹替で見るのは恥ずかしいという意識がある云々と書いてあったのを見つけて驚いたことがある。当方にとっては映画は吹替の方がいいと思っていたからだ。恥ずかしいだなんて思ったことなどなかった。
もちろん、原音のままの方がいい映画ってのはあると思う。だけど、恥ずかしいってのはなんなんだ、って思う。
今だって、映画館に行くときだって吹替の方を選ぶ。(が、吹替の方だとスクリーンが小さかったりするので、字幕で見ることが多いですが)
たまに洋画に出演している俳優の元の声聞くことがあるけど、逆にそっちの方が違和感があるw もう、その俳優の声はアテている人の声で脳にインプットされているの。
吹替ファンなら間違いなく楽しめる本。とりさんの吹替本では吹替映画大事典もおすすめ。

???

創価学会関連書籍

本雑誌コミュで上位にきていた。
新着ブログに名前が載っているので最近できたブログだ。が、なぜかエントリは1982年5月の日付からの開始に設定している。これ何か意味があるのかな?
SEO的にそうした方がいいとか。よくわからん。

最後の努力 ローマ人の物語 13巻

最後の努力
塩野 七生

ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスなど、ローマ皇帝が市民の第一人者であった最後の時代にスポットをあてた巻。(余談だけど、ファンとしては著者が入閣しなくてよかったよ。ローマ人の物語を書き終えてから入閣してください)
タイトルからもわかるとおり、ローマも終わりに近づいている。塩野七生がこのローマ人の物語で、一般に悪政と呼ばれている事象について、しかしそれも元をただせば善意からの政策だったのだ、と解説しているものが結構ある。

そうなのだ。世の中にはそうそう都合よく悪などない。どんな評判が悪い制度・政策でも、元を調べてみると正当と思われる要求に応えるためのものだったり、善かれと思っての施策だったりする。ただ、施行するものの状況認識の間違いとか不運とか、その他もろもろで失敗したものなのだ。
結果だけをみれば、なんでこんなものが形に……と思ったりするのだが、その結果のみをみて批判しても、あまり意味がないよなぁと最近つとに思う。他を罵倒して気張らしという効用はあるかもしれないが。

はてな 日露の経済関係が大きく進展できない最大の理由である北方領土問題を、仮に「購入」という形で解決することができたと仮定して、いくらまでなら支払う価値がありましょう? この質問は、日露が懸案を抱え続けることによる損失を金額に換算するといくらになるか? という質問と同義です。

2兆円で返還か。それぐらいのものかな、と思う。まあ、財政が厳しいご時世なので2兆円を使うって事自体が通らないかもしれないが、2兆円で話がつくなら良い話じゃないかな。
こういう話の時、北方領土は日本の領土をソ連が不法占拠しているんだから、お金払うなんてとんでもないって意見は出てくると思う。それは正しい。が、正しいけどその正しさが問題を解決するとは限らない。
戦争によって失った領土の返還なんて、もう一度戦争をやるしかない。敗れた戦争なのだ、前回のは。そりゃ歴史上は戦争によらない領土の返還もあることはあるけど、基本的には領土ってのは戦争によって領有の正当性を復帰させるのが基本だ。近年、大国間で領土をめぐっての戦争が起こらないのは、コストに見合わないからだ。戦争を起こす、継続させるコストが高くなりすぎて、領土問題ではとても戦争など起こせなくなってしまった時代だからだ。
鈴木宗男が復帰して、怨敵外務省に対していろいろ行動しているけど、そもそも元になった北方領土での活動はどうして起きたか。
それは、大本である北方領土の即時無償返還という正しい国民の願いが非現実的だからだ。北方領土が不法占拠されている → ソ連(ロシア)けしからん → 北方領土を返還させろ!という思考経路はどこも間違っていない。いないが、では実際に返還させる方法は?という話までにはつながっていない。もちろんただの人である庶民に、そんな返還方法なんて思いつかないだろう。それはそのとおりで、ただの人である庶民にその責はない。
が、日本は民主国家だ。庶民のつぶやきは、国民の正当な要求として実施機関(この場合は外務省)は受けとめてしまう。だが、先も言ったように戦争ができない国家(まあ、それでなくても現代は戦争なんてできないが)日本において領土の返還というのは難しい。正当なる要求と要求の実現が難しい現場という乖離が現れた時、いかがわしさが生まれる土壌になる。
正当なる要求に対して、無理ですとむげに断ることは難しい。そういう場合、とりあえずの代わりの案で埋め合わせようとする。それがどれだけ現実的かというのは別にして。北方領土の場合は、四島住民との交流とかね。
理想と現実の乖離というのは、理想である正当な要求が正当であればあるほど、その間の距離を埋めるのが難しい。そうなったら最後、その間にはいかがわしい輩が跳梁跋扈することになる。
正当な方法でなくても良い結果は出せるかもしれない。だが、正当ではない方法といのは、最終的にはコストが高くなると思う。北方領土に建った施設とかね。
自分の善意が、結果として失政につながるというのは、床屋政談好きは良くおぼえておかないといけないことだろうなぁとは思う。

あいさつって大事だよね

ブログサービスって複数で管理できるのもある。それを使って複数人で運営しようとしたことがあってね。
いやさ、何か楽しそうじゃない、そういうの。
でもダメだった。さっぱり。もう初日からかみあわなくて空気悪くて。
結局一週間で音楽性の違いを理由に解散しました。

熊x栗x淳也のないしょ話

複数人で管理されているんだけどおもしろいんだよ。やってることはあいさつとバナー作成だけなんだけど。なぜかおもしろいの。

いわみてが雑誌掲載!?

99円均一

日記[537]参照のこと。
メガネ男子マンガいわみてがおもろうて、おもろうて続きはまだかまだかとじりじりしていたのですが、どうやら雑誌に掲載されるかもしれないとのこと! なるほど、だから続きがストップしていたのか。
ということは、ちゃんとペン入れされたいわみてが見られるってことかー
楽しみ。

関連記事

自分の笑いのポイントってびっくりするよね

ブログからホームページビルダーへ

ホームページビルダーは長らく愛用してきたソフトだ。使いやすくて良。ただ重いのが難だけど。 駄文をブログサービスでつけるようになってからは、使ってない。

はてな ブログで作成したコンテンツをそのままのデザインでホームページビルダー等を使ったいままでのHPに移行する方法を教えてください。

今一度、ほーむぺーじってやつにチャレンジするときに参考にするかもクリップ。たぶん必要ない。

禅僧の生死

人としていかに生きるか、そしていかに死ぬか。日本の禅宗を隆盛へと導いた13世紀の円爾から、16世紀に伽藍を多く復興し禅の道場として活用した太原まで、23人の高僧の死生観を通して人生を考える名著。
「MARC」データベースより

自分と他者

つまり死ぬことの自由は当人によって得られるが、その自由の許される一面に、自の及ばない他のあることを知らなくてはならない。

今も忘れられない話がある。ある禅の老師の話だった。
ある日、夫が交通事故で逝ってしまった奥さんがお寺に来た。しかも夫が事故の加害者なため、莫大なお金を被害者に支払うことになる。夫との子はまだ乳飲み子だった。奥さんはただぼうぜんと本堂に座っておられたという。

我が家の宗派は広島ではポピュラーな安芸門徒であり、んでもってうちは寺とは仲が悪かったりする家だったりするので、だいたいに坊主は嫌いなのだけど、この話にははっとさせられた。
どうしようもない現実(しかも他人の)が目の前に現れたとき、人にいったい何ができるのか。
「子どもさんのためにもがんばらないといけない」「あの世のだんなさんは、あなたの幸せを祈っている」「人生きっといいことがある」このような言葉は、相手に届くだろうか。どうしようもない現実のただ中にいる人と、どこまでいっても第三者でしかない者との溝は深い。自分が老僧の立場だったらどうだろう。上記のセリフをつい言ってしまいそうな気がする。でもそれは相手のためだろうか。この言葉なら相手に届くと思っての発言なのだろうか。
それは結局、相手のための言葉ではなく自分のための発言なのだろう。自分が善意の第三者であることを確認するための発言にしかならない。その偽善性に気づいたとしても、結局自分の無力さの前に押し黙るしかできないだろう。
ただの一般人なら、それでもいいかもしれない。だが、僧侶という立場はそれをゆるさないだろう。僧侶という立場自体は、どうしようもない現実の中にいる人に対して、まったくの無力なのにだ。

傷ついた経験というものは、同じ経験をした者にしかわからない。相談事とか、深刻な話とかで最後の方になって出てくる文句だ。学生時代のいじめとか、リストカットの後とか見せられると、そりゃみんなだまる。
確かにそうだろう、と思う。でも、話はそれで終わりじゃないだろう、とも思う。
それじゃあ、傷ついた経験を持つ者は、明らかに自分より深刻な経験を持つ者に対して、どう言葉を発するのか。どういった言葉を届けるのか。
自分の経験というのはものすごく個人的なことなのだ。あたりまえだけど。
自分の経験(ここでは自分の心、気持ちに言い換え可能だな)を絶対視するのは、自分の心の平穏のためには必要なのかもしれないが、残念ながら人は自分一人だけで生きているのではなく、自分と同じように自分だけの経験を持つ他者と生きている。
傷ついた経験というものは、同じ経験をした者にしかわからない。っていうのは終着点ではない。だいたいに終わりだと思っているものは終わりではない。そこからが思考のスタートなのだ。

言葉を届けるという行為は、不毛で無力感を感じる行いだ。でも、不毛と無力感に押しつぶされながらも言葉を届けようとする人、届けるべきだと信ずる人というのはいて。そして、たいてい言葉は届かず、残るのは不毛と無力感だけなんてことになる。そういった経験は傷ついた経験ではないのかな。違うけどわかってほしいもののような気がする。

てなことは、冒頭に挙げた本書の内容とはあまり関係がない。
本書は題名通り禅僧の生死を著述したものだ。内容についてはふれない。禅僧、というより人の生死など当方には語ることができない。そんな能力は当方に備わっていない。
だが、人というのは、何の縁か人の生死について向きあわねばならぬ時がある。自分の手に余る問題に向きあうなど、思い上がりもはなはだしいのだろうが、人というのはいつかそんな時がやってくるのだろうと思っている。
こういう本を読むのは、いや本を読むという行為自体が、その時に対する備えなのかもしれない。

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