おっ、capetaの新刊が出たのかと思い良く確認せず購入。帰宅後ビニールをはいで中身を確認すると文字ばっかり???
オフィシャルガイドブックだったのね……
あー、あれだなぁ。マンガが立ち読みできない弊害って一番はこれだな。中途半端に集めているシリーズは何巻まで持っているかわからなくなるし。
ま、曽田正人好きだから良い買い物をしたことにしよう。勘違いしなかったら買わなかったかもしれないし。
ウェブ版「ウェブログの歩き方」にて、ウェブログの心理学の付録であった「ウェブログの歩き方」がPDFで公開されている。
前に、読売新聞だかで庶民の文化として自費出版の本の保存を訴えかける声を紹介していたが、保存する価値があるものなら、それこそ全部HTML化してWebで保存すればいい。それこそ商売抜きだからこその自費出版なのだから著作権とかうるさいこといわず。
転載自由にしておけば、価値があると思った第三者が保存しておいてくれるかもしれないし。
はてな 座禅をしていて「悟る」事と幽体離脱をする事、または死ぬ事との違いって何ですか。座禅をしていてあるところまで行き着くと体から抜ける感覚とかに似ていたりします。死ぬ感覚もこういうものなんじゃないかなぁと思い質問してみました。まじめな質問ですのでちゃんとした回答をお願いします。
という質問。 んで、いわしでid:pasosaviが
この方の求めていた回答は、 最後の方の回答にあるような、 ヒンズー教的神秘主義にあろうかと
と書いているのをみて、はーそうなんだとなぜか納得してしまった。
禅に限らずだけど、荒行の末の超越的感覚を何かの悟りだと信じてしまうというのは良くあることなのだろう。まあ、そういう感覚がダメというわけではないのだけど。山伏修行とか、荒行によって得ることが出来る感覚というのは、そりゃ無意味だとは思わない。が、たとえばクスリを使えばどうなのか。
違法だろうが何だろうが、覚醒剤等々のクスリを使えば超越的感覚など容易に得られる。クスリによる幻覚作用は、古来より宗教儀式に用いられたものだし。
もし、坐禅によって得られた超越的感覚が悟りなのだとしたら、その悟りはクスリによって得られるものとどう違うのか。そこらへん、仏教はもう少し慎重に考えていると思う。
当方、臨済禅しか経験がないので、曹洞禅ではどういう指導をしているかは知らないのだが、臨済禅では公案を使って修行者があやまった道へ進んでいないかのチェックを行う。
禅にふれる前には、曹洞宗の只管打坐という姿勢が清々しく感じられて、臨済宗の公案は何か真理とは遠い不純なもののように感じていたのだが、実際経験してみると臨済宗のシステムは合理的なのかもしれないな、と思い至った。というのも、坐禅を長時間すればとうぜんながら足はパンパン、肉体的にも限界が来てくたくたになる。人間の脳というのは、ある限界をつっきると脳内麻薬を発生させるので、そういう状態では何か不思議な感覚になれる。坐禅のつらさをつきぬけたときに得られる感覚であるので、自分としても特別なものと思いたい心理があり、これを特別視してしまう気持ちは当然なのだろう。
だが、それが真理なら、真理とはムリにつらい坐禅などやらなくてもクスリでもやれば容易に得られてしまう。マゾヒストならその容易さは唾棄すべきものなのかもしれないが。
宗教の教義として、超越的感覚を真理とするのは上等ではない。他のもので容易に到達できるものを真理としては、底が浅いと思われるからだ。だから、超越的感覚は真理でないとチェックできる公案は、宗教の教義の補強として修行のシステムとして優れている。まあ、公案なんぞ一回も解いたことがないのでえらそうなことを言っても説得力も何もないが。
堀江氏に広島買収の動き 巨人・渡辺会長が明かす
まあ、ネタなのだろうけど。
しかし当方が聞いていた話は、新球場コンペで新球場を上場して資金調達を、というアイデアをライブドアが出してくるのではないか、といったものだったのだが。金がない広島市広島県にとっては良い話なのかもなぁ、と与太話を聞いていたのだが。
尾道が本拠地なら、ホームグラウンドは倉敷マスカットスタジアム?、それとも松山ぼっちゃん球場か。>どっちも尾道じゃねぇ
極東ブログより。
紹介されている本がおもしろそうなのでさっそくアマゾンで注文してみた。まあ、書評が主のエントリーじゃないのだろうけど。
そういや、自分はBCGは受けてないような気がする。いや、うけたのだっけ。自分より少し上は受けてた記憶があるのだけど。
いま、自分の腕を見てみたが痕は見つからなかった。あれって歳とったらなくなるのかな。それとも、ほんとうに受けてないだけ?
風呂場の窓とかドアのくもりガラスとか、露のせいで指でなぞると字が書けるじゃないですか。
あれ、無性に何か書きたくなるんだよね。
当方、トイレとか風呂場とか閉じた狭い空間に入るとなぜか気分が高揚してしまう。閉所高揚病?
で、何も考えずつらっと字を書いていたりするわけだ。(絵心がないから字)
死
たいてい一文字で、この文字を書くことが多い。これについては特に意味はない。横断歩道の白いところだけを踏んでわたるとかと一緒で、意味のないジンクスみたいなものだ。
が、これが家人にひじょーに評判が悪い。つらっとドアガラスに書いていたら、それを見つけて、「んな気味悪いことすんなっ死ねっ」と怒られた。なので、以後自粛している。
が、何か書きたい気分はあるし、書かないと気持ちが悪い。風呂場字依存症?
生
んで、最近代わりに書く一時はこんなんだったりする。これも特に意味はない。
死と生というのは、そこまで大きくはなれたものではないのだろう。
葉の裏表のようにぴったりと互いに張りついている関係。ただ、どうしようもなく生きている人間は生の方にいるのだから、死というのは見えないだけだろう。ふと、足下を見据えれば、それはそこに在るものなのだと思う。
浅野いにおの素晴らしい世界を読みながらそんなことを考えた。
今日は月曜なので男は千円の日だ。(一部映画館で)
というわけで忍を見てきた。山田風太郎は好きだが、あまり原作付きというのは映画を選ぶさいに気にしないようにはしているので、仲間由紀恵を見にいったと思えばいいんだろう。
原作気にしないといったそばから言うのもなんだけど、あれだね、最近の映画は原作を尊重しようっていう心が溢れている。最近見た映画そういう映画ばっかりだったような。NANAとか、SIN CITYとか。(SIN CITYは原作尊重というか原作通りに作りのが目的だったんだから、ちょっと違うが)
SIN CITYなんてもろそうだったけど、この映画も見終わったあと何も残らない映画だ。でもそれでいいのだと思う。話の本筋は仲間由紀絵とオダギリジョーの悲痛な恋なわけだが、それは物語を作るためのものであって、本来は怪奇忍術合戦がこの作品の主題になるはずだ。(えっ
しかし、怪奇忍術合戦の描写が狂っているとしか言いようのないものだとか、もっとおどろおどろしかったら後に残ったのかもしれないが、みごとなCGで処理してあるので、普通に見られる。見終わった後、記憶に残っているのは仲間由紀絵とオダギリジョーのみという見事な処理。これなら、多くいたカレシカノジョにぴったりだったろう。
久しぶりに人で埋まった状態で映画を見た。仲間由紀絵ファンとか、デートにはちょうといい映画です。
ほんとーに見終わった後何も残らない映画。
いや、何の事前知識を持たずに見た当方が悪いのだろうけど、見てる最中さっぱりわからなかった。
http://psychodoc.eek.jp/diary/?date=20051002#p01
なんとも判断つかないので、いろんなサイト見て回って、あー、そういうものなんだ、と納得して終了。(他にもいろいろ見て回ったのだけど、忘れた。ブクマもしてない。役立ってないじゃん、オレ)
しかし、見てもわからなかった映画を、わからなかった自分を納得させるために情報をあさるのは不毛な気がする。わからないなら、わからないでいいのではないか。
結構稼いでいるらしいのだが、当方が見に行ったときはわりとすいてた。時間帯のせいか。
ほんとーに原作に忠実な作品。でもおもしろかった。たぶん原作の一番おもしろいところを映画化しているからだろう。男でも読んでいる少女?マンガ三傑としてNANA・ハチクロ・のだめがあるけど、この中ではNANAが一番苦手。たぶん、後半の(といってはいかんか、連載中なんだから)ドロドロとした展開、描写が熱血少年マンガで育った身にはつらいいんだろうなぁ。だから、あそこまでの映画化で正解だと思う。あれ以降は映像だと見ててきつくなる。
という感想を抱いていたら続編制作するのね。ま、まあHITしたんだからしょうがないか。がんばってください。
小西さんはすごい好きな女優で、ココリコミラクルタイプなど、彼女が出ているというだけで見てしまうことがある。(やはり、それほど見るわけじゃないけど)
だから猛牛ママの小西真奈美で司書妄想という記事など、自分のツボにダイレクトに来すぎて困ったぐらいだ。小西真奈美で司書、良すぎる。
あまりタレント本は買わないようにしているのだけど(コストパフォーマンスが悪いから)、これはついつい買ってしまった。綺麗な写真と短い詩のようなエッセイで綴られているのが本書。
エッセイについてのあれこれを語れるほど、この分野にくわしくないので内容のほうはパスするが、小西真奈美で司書妄想という記事がツボにくるような人なら、まず間違いなく読める。泣ける…までは保証しないけど、楽しめる。
金城一紀が帯に書いているコピーが一番わかりやすいな。
凛、という響きが
聴こえてくる本です。
あと猛牛ママさんの10月3日の記事で書いてあるとおり、DTIで小西真奈美の日めくりダイアリー「今日の大丈夫。」がはじまった模様。いかん、これは朝出勤する前に見たいなぁ。そのためには早起きするしなければ。こんな日記を書いている場合ではない。寝る。
先日買ったHOMEが気に入ったのでアンジェラ・アキのライブに行って来ました。HMVのライブははじめて見たな。行ったときにはもう終わってたとかはあったけど。
ライブ自体すごい久しぶりだったのですが、良かったなぁ。
CDのジャケ写真(公式サイト参照)よりも実物の方がハーフって顔してたよ。こういう時、あっちの俳優さんの名前でも出して雰囲気を伝えられるといいんだけど、残念ながら俳優にくわしくないのでごめんなさい。
んで、開けたか開けてないかぐらいの細目でピアノの弾きながら歌うのさ。時に目を開いて虚空を見上げてね。
やっぱり歌はライブだよなぁ、と思う。こういう歌い手の姿を見られるし、声量で体が震えるなんて経験ができるからね。本式のライブって長いからなかなか行く気にならないのだけど、こういうインストアライブってのは気軽でいいね。たびたび行こうと思う。もちろんアンジェラ・アキさんの演奏と歌も良かったので、またライブやるときはぜひ広島で。長くても行きます。
ライブの内容
うろ覚えなんで間違っているかも。どれも良かった。ルイジアナに関しては、今回ハリケーンで大変なことになっているけど、この歌はハリケーンについて歌っているんです。流されていく、流されていくってフレーズがあったりして、これは当時の黒人への差別なども含めた歌詞なんです、ということを語っていた。(ここらへんも聞き間違いがあるかも)
当方、洋楽にはまったくくわしくないので、そこらへんはさっぱりなのだけどね。