クリオネ?そういやクリオネって食事するときすごい怖い姿になるんだっけ。
山折り谷折り・・・いや、こういうネタは好きですけどね。
この作品ってホントに登場人物が歳とるよなぁ。そうか、主人公が歳をとらない設定だと、まわりの登場人物には歳をとらせやすくなるんだ。
木尾四目的な話へもってくふりなのか、今回の話は。ここまでほのぼのとおたく世界を描いた話だったげんしけんのラストがぐちゃぐちゃになるとして、それはそれで見てみたいよなあ、ってついつい思ってしまうのはいかがなもんだろう。前作の影響受けすぎかな、当方が。
この作品で、庵子の立ち位置ってなんだろう、と一晩考えようとしたのだが暑いのでやめた。
これが物語の核となるエピソードなのだろう。どうまとめ上げるか期待。
ミリアムとの予想されていた結末。んでミリアム自身の結末もどうなることやら。安らかな退場となればいいのだけれど。まあムリだろうなぁ、この作品で。
あっ、ちょっと物語的展開があったと思ったら案の定次回最終回ですか。まあ、短期連載だったんだろうけど結構好きだったので残念。
一作品のためにかったので連載作品のことまったくわかんないんだけどレビューしてみよぉのコーナー
サンデーGXは島本和彦の【新吼えろペン】を読めるというお得な雑誌なわけだが、今号は島本和彦の名作【逆境ナイン】が映画化されるということで、大特集であった。
まず、雑誌の表紙!不屈闘志役の玉山鉄二と月田明子の堀北真希が表紙なのだが、なんか端の方がおかしいと思ってめくってみると第二の表紙が存在するじゃあありませんか。第二の表紙は同じ構成で不屈闘志と月田明子の絵を島本和彦が描いているのだ。もう後には引かない構えだね、サンデーGX。
お次はあだち充VS島本和彦の映画化記念コンビの対談。そうかぁ、タッチと逆境ナインは同じジャンルのマンガだったのか。
んで、新装版逆境ナイン第6集についているドラマCDのテーマソングを歌う水木一郎の熱血トーク搭載。
まさに俺しか歌えない歌。人間必ず逆境があるし、俺も逆境を乗り越えてきたから、この曲に魂を込めることができた。
あぁ、逆境ナインなら当然徳間書店版を全巻持っているが新装版も手に入れなくてはならないようだな。
そしてそして、今回の目玉がこれだ。【からくり逆境サーカスナイン】そう、島本和彦と藤田和日郎の合作だ。
合作漫画ってのはおもしろいんだけど、多いのが片方がネームを描き、もう一人が筆を入れるといったかたちかな(例マリアナ伝説)。これはおそらく島本和彦がネームを描き両方とも筆を入れてる。一見それぞれのキャラはそれぞれの親マンガ家が描いているように思われるが、その後に載っている【新吼えろペン特別編】を読むと、島本キャラを藤田が、藤田キャラを島本が描いている部分もあるのか。まったく判別がつかない。こういうマンガ家の線にくわしい人に教えてほしい。夏目房之介に講義してもらいたいところだけど、まあ取りあげないだろうな。
この作品、当然といえば当然だが、島本和彦逆境ナインと藤田和日郎からくりサーカスを知っていないとちんぷんかんぷんの作品だろう。ま、半分お遊びだからいいのだけど。当方的には大オッケーだし。
逆境ナインのはじめと同じ校長室に不屈が呼びだされるところからはじまるのだが、校長(映画では藤岡弘)が実は面目なし(フェイスレス)に変わっていて、いきなり「廃部だっ」と言われるかわりに「野球部ちょうだい!?」と叫ばれ、見開きでオートマータに囲まれるという、入りからトップギア。
んで次に状況説明が入るわけだが、元凶が実は新屋敷のせいというのが描かれていて、また原作ファンにはたまらない。
そんなこんなでオートマータ対不屈の対決になるのだが、相手の術中にはまり腰がくだけた不屈に監督が魂の言葉を。
それに対して不屈「い、 いや、監督・・・ 今それを言われても・・・!」島本ギャグ全開。
もちろんこの後も二人のマンガ家が好き放題やって、からくり男球がでるわ(藤田先生ホントに読めません)、スグカットー“ナマミ”(加藤鳴海)withしろがね軍団が出てきたり、月田のアッコちゃんはあいかわらず天然だし、とファンには垂涎ものの作品だな、こりゃ。
そして最後は当然監督の名言で締めっ。
って、続く!?
そして今回の新吼えろペンは、全編合作のあとがきなわけでありました。そうか、マルピー落ちたのか。。。
おまけ。なんと新装版逆境ナイン、アメコミヴァージョンのコミックスカバー付き。あぁ、笑えるよ、笑いすぎたよ。
ファンなら買っとけ。
上手い萌えの見せ方だね。
ごめん。やっぱ連載作品を今号だけ見るってのはつらいわ。
おっ、これは読んだことある。花見沢Q太郎の作品ってことで漫画喫茶で読んだわ。確か花見沢Q太郎ってニュータイプで連載してたよな。あれで知ってた。へー、GXで連載してたんだ。
おぉ、これも知ってる。吼えろペン読むために立ち読みしてたころ、この作品も読んでたわ。まだ続いていたんだ。
こういうバイク漫画って需要があるんだろうな。でもこの作品が受けているのは、非バイク者でも楽しく読めちゃうところだろう。バイクには乗らないけど、バイクってなんだかいいよなぁ、って思っているやつは多いと思う。
おもしろい。短編だから力技の部分があるが、構成、小道具、キャラクター設定等作者の才能を感じる。短編で見るべきところは作者の将来性だ。適度にエロいしね。
こいずみまりっぽいっちゃあ、そうだけど、これはどっちかっていうと作者の持っているカテゴリーから持ってきたヤツじゃなくて、取材によって描いているような気が。今号しか読んでないからようわからんけど。
まあ、ハードな作品を描いた後にこういうのが描きたくなるってのはわかるけど。
まあ、そういうのがそこそこ受けてるんだから、需要があるということで。
いいんじゃないでしょうか。
と言ってせかすのはいかんとは、重々承知しているのですが。
意外や意外、第3段はアニメではなくグランツー4できました。しかも造るのはグランバレースピードウェイっ。
っていっても当方はゲーマーではないのでグランツーは知人がやっているのを見てただけ。しかし、あの映像は横で見てるだけでもすばらしかった。
しかしここでゲームという変化球でくるとは意外でしたが、いいのではないでしょうか。
ここでいっぱつプレステと組んでゲーム世界に上陸ってのは、アニメアニメでこの企画が来ただけに反発も予想されるなかで、この企画を長持ちさせるための英断だと思います。(このすばらしい企画を少しでも長く見ていたいのですよ、当方は)
さて、今回はリアル志向のグランツーの世界を相手にどれだけ現実の土建屋としての意地を見せてくれるのか。
あぁ、次の記事が待ち遠しい。
今月は週休二日制で進んでいたのだけれど。ついおもしろくて。
いわみて評判だったのは知ってたんだけど、当方同人作品に期待をまったくしない方で、うちにある同人誌は島本和彦本人作の同人誌のみっていう状況。でスルーしていたわけだが、午後からひまだったんで読んでみた。
いやー、四コママンガ好きなの(ももせたまみとか丹沢恵
とか)を読む感覚でWebマンガ読むことあるけど(マリむちゃ好きです)、これはやられたって思った作品だ。
くやしいがおもしろいぞ。
当方のポイントを急角度でついた。久しぶりにディスプレイの前で笑ったよ。あ~、仕事場でなくて良かった。
オススメです。
あかん。HTMLもCSSもやっぱりさっぱりわかっていない、そんな当方が手を出したところで。。。
いちおー試験的に入れてみたサイドバーのStyle Changerなんですけど、設置するだけで四苦八苦(しかもむちゃくちゃな置き方だし)。あー、当方はこういうのに一生向いていないと嘆くばかり。
すばらしいアイデアとツールなんで、かっこよく配置したいんですけどね。あぁ、勉強をしなおさないとあかんわ。
というわけで当方はテンプレートに関する話題はとうてい書けませんが、記事の方は楽しく読まさせてもらっています。多謝。
トップバッターで初球打ち。あぁ、暴投かと頭を抱える。
でも当方にとってリードオフマンといえば野村謙二郎なんだ。そうリードオフマンなんて言葉を覚えたのは野村謙二郎のおかげだ。
三遊間に転がしての内野安打。一塁へのヘッドスライディング。あふれる闘志。
当方の一番バッター像は野村謙二郎のイメージで固められている。走れない一番なんて、クールな一番なんて一番じゃあない。一番イズ野村謙二郎。
三割30本30盗塁を達成したときはびっくりしたっていうほうが大きかったけど、今回はただただおめでとうだ。ほんとうにおめでとう。
野村謙二郎、2000本安打達成
よくどんな本読んでるの?と聞かれるのだが、いつも答えに窮す。今は倉橋由美子の【アマノン国往還記】を読み返しているわけだが、小説を良く読むわけでもない。かといって新書スキーで新しくでた新書のチェックは欠かさないなんてこともない。ビジネス書は、好きな著者しか読まない。
結局は乱読としか言えない。だからあまり趣味は読書とは言わないようにしてるけど、他に長年続けていることないので困る。
んで、唯一好きなジャンルと言えばSFなのだが、これもあまり言わない。べつに、はぁ~その歳でUFOとか信じてんの?とか、オタクくさっ、という反応がイヤだからというわけじゃなく、一般人にSFを説明するのがめちゃくちゃめんどくさいだけというのが単純な理由。
ま、と言っても好きなジャンルではあるがヘビーなSF読みなわけでもない。
一番好きな作家が火浦功で、あとは大原まり子の本人が嫌いなSFっぽい作品が大好きと言えばレベルがだいたいわかるだろうか<ヘビーなSF読みなら。
あとは神林長平と山田正紀が好きかな。新井素子は少々ってな感じ。あっ、大御所御三方は読んでますよ。星新一・小松左京・筒井康隆。
海外SFは長いこと手を出さなかった。知人の書痴に進められて最近少しは読むようになったが。アジモフの【ファウンデーション】や、R.A.ラファティ、ハインライン【夏への扉】くらいしかまだ読んでいない。
なんで海外SFに手を出さなかったのかは、ただ単に気分の問題と翻訳物が嫌いという当方の性質による。が、小説はともかく愛好者の壁が高そうっていう感覚は意識的無意識的に持っていた。若かったのだろう。当方、小学生のころは活字を読むヤツなんてインテリ(!あぁ恥ずかしい)だ、おれたちの敵だっ、みたいなバカな考え持っていたアホな子どもだったし。
だいたい当方が本格的に読書をはじめた頃は、SF冬の時代の極寒期だったような気がする。SFってのじゃさっぱり売れなかったのじゃないかしらん。だからSF的素養を持つ作家は他のジャンルに流れ出ている、ってのがSFファンの一般的な意識だったような。ま、SF好きなんてまわりにいなかったから知らんけど。
ちょっと触発されて、あんま関係ないことをつらつらと
当方は、人のエントリに影響されて関係ないことを書くのが大好きなのです。もうしわけない。
ライノベってのは、ライト(軽い)っていう名前のとおりガキの読み物(最近はオタクの読み物っていう意識も増えたか)としか評価されずに、一般的な読書界(そんなものがあるとすれば)からは無視されている界隈なんだけど、その存在はもっと評価されても良いだろうとは、中高生の時ライノベ読者だった身びいきだけではないはずだ。
当方、【魔術師が多すぎる】は当然未読なので、個別論としては何もいえないわけだが、ライノベのSF性ってのは確かにそうだと思う。SF的設定をふんだんに使用したライノベってのは多数ある。例涼宮ハルヒの憂鬱
そういう作品読むとついついルーツは何々、元ネタはどうこうっていう話をしたくなるのは人情といったもんだろう。当方も歳をとったので若いもんに対してああだこうだと言いたくなることは多々ある。SF素養を持つ作家が他ジャンル(ミステリ・ライノベ)へ流れてがんばったていう意識もあるし。
が、それが当のライノベ読者に通じるかな、と思う。まあ、相当の本好きであれば喜ぶかもしれないけどたいていのライノベ読者には話すら通じない可能性があるだろう。って現役ライノベ読者を卒業した者が言っても説得力がないか。
ライノベの現役読者ってのはルーツとか元ネタとかじゃなくて、キャラクターとか世界観に感情移入するのに快感を覚えるんじゃないかなぁ。ってのは、当方がよく読んでいたあかほりさとる御大の【ラムネ&40 小説版】でのこと。
あかほりさとるは小説の最後にキャラクター座談会をたいてい入れていたのね。まあ楽屋オチですよ。当方は大好きだったのだけど、これにクレームがきたらしい。いわく小説を読んで最後にこれ入っていると世界観が壊れるからやめてほしいと。当時はなんじゃそれ、と思ったのだけど、当の作者があとがきで書くくらいだから結構同意見がきていたのだろう。
鈴木みそが【あんたっちゃぶる】で作品のキャラクターに完全に感情移入して読者投稿コーナーで“そのひどいことをしたキャラクター”を実在の人物のような感じで非難するハガキを紹介していたのを今思い出したのだが、ライノベにとって、もっともよいお客さんというのはこういう人たちなんじゃないかなぁ。作者を非難するんじゃなくて、キャラクターに感情移入して、キャラクター自体を非難してしまうような人たち。
そういった読者にとっては、自分の好きな作品のルーツとか、むしろ知りたくないんだろう。それは巻末のキャラクター座談会等の楽屋オチと一緒で世界観を崩す要因だと思われる可能性もある。たぶん、そういった読者にこの作品のルーツはこうこうこういったSF作品で、とか親切心で言ったとしても、たぶん相手にされない。むしろこの大人なに?くらいの冷たい目で見られるような気がするよ。
あかほりさとると最近のライノベを比べるとなんとなく怒られそうな気がするけど(ポリリンに失礼!)、たぶん【ブギーポップ】を読んでいる大半の読者だって根本のところはそんなもんだろうと、当方はふんでいる。
ゆうきまさみの【究極超人あ~る】や火浦功の作品群に出ているネタのルーツを知っている読者はそんなにいなかったと思う。それは彼ら自身が言っていた(とり・みきのエッセイか何かだったと思うが、失念した。後で探そう)。でも元ネタがわからなくても読者はおもしろがり彼らの作品を読み、おそらく(当方を含む)彼らの読者の多くはそのルーツの作品まで手を出さなかったのではなかろうか。
大切なのは雰囲気であって、元ネタとかの知識は知ってればおもしろいかもしれないが、絶対必須なものではなかったのだ。
そういった作品で、元ネタとかを知りたがり実際読んでみる人は、その後良い本読みとなりネットで書評子として活動したりしているのだろう。でも、彼らの作品を買い支えて支持してきた読者たちのほとんどはそういったことには無関心だったのではないか。
かくして、当の無関心な読者だった当方の書評はいいかげんで雰囲気で読めるものになりはてた、といったところ。
ライノベにとってSFとは、作品の世界観を装飾するツールっていう意味合いが強くて、そこに読書家からSF部分にクローズアップしたことを言われると、『なんか違う』っていう違和感を感じてしまうのが現役ライノベ読者なんだろう。読書家にとってはSFとライノベっていうのは親和性が高いジャンルなんだろうけど、現役ライノベ読者からしたらSFとライノベはまったくの別物になってしまうのではないか。
SFってのは一般人にとってはいまだに敷居がものすごく高いジャンルなんだよ、やっぱ。少なくとも当方のまわりではね。
SFからライノベに降りていくのはあきらめて、ライノベ読者からSF的素養を持った者が自然とSF界に挙がってくるのを待つしかないかも。そういうSF適格者のためのガイドとして、この作品のルーツはこれっていう情報はきっちりとわかりやすく示しておくってのが戦略的に正しいと思う。
SFの要素自体に引かれる子ってのはいると思うし。SFおもしろいよね。
ご飯の中頼んだらでっかいどんぶりで出てくんの。よく考えたら、ご飯はミニ・小・中・大っていうランクわけがされておるわけよ。小くらいのサイズを頼んだつもりが・・・
あぁ、飯ばっか食っている気分だったさ。
ひじきにポテトサラダにみそ汁、ご飯中で385円(たぶん)。勝ったな。
が勝利とは常に虚しいものだ。当方もそのナンつきのスープカレーを食したいと思ってもしょうがないのではなかろうか。カレー好きだし。365カレーとか見るとたまらないよ、ホント。
それと今日運転中にラジオで聞いたのだが、国泰寺高校近くに美味いスープカレー屋があるらしいよ。名前忘れたけど。それによると北海道ではカレーと言えばスープカレーらしいぞ<衝撃の真実。さすが北の大地北海道。
↑「こうしょうにん」って打ったら、変換は公証人のみだった。さすがに日本ではまだまだの存在なのだなw
見てきました、交渉人真下正義。むー、良かったのではないかな、パンフは買ってこなかったけど。
前に思ってたとおり、オタク真下が正義のオタクとして活躍する話だったね。オタクが主役らしく小道具がちりばめられていたし。その筋の人はニヤリとできる映画になっているのかも。←その筋の人ではないのでようわからんけど。
カラスが出たときは、おぉ押井守と思ったのですが、最後にカラスが集まったところを見ると、鳥類が高周波に集まるという習性(←ホントかどうかは知らない。誰か教えてプリーズ)を図示した画だったのね。犯人の車が移動するたびにテレビの画像が揺れる=犯人が発する強力な電波によって周りの電波状況が悪くなる図と一緒というわけだ。もちろんカラスにはそれ以上の意味が込められているんだろうけど。
交渉の場面は、もっと知的で言葉遊び的に描かれるのだろうと思っていたけど、普通の会話をするのみだった。でも、そんなものかもしれない。ホントの交渉ってやつはね。
一見普通で凡庸な会話から相手のイメージ・意志を感じ取り、普通で凡庸な会話で相手を、相手に気づかせぬよう、こちらの思惑どおりに動かす。それがリアルな交渉術って気がするよ。
ラストの真下の引っかけがもうどうしようもないほど古典的でつまらないんだけど、逆に言えば、その古典的でつまらない手で引っかけることができたということが、それまで真下が犯人との交渉を自らの思惑どおりに進めてきた証左ということなんだろう。凡庸な会話でも、実は深い意味が隠されていて、やりようによっては相手を自分の思惑どおりに動かすことができる、それがビバ交渉!ってことなんですよね、監督っ<たぶん。
気軽に見るにはいい映画なんじゃないでしょうか。
でだ。(ここからちょっと一言とはげしくラストのネタバレ含む)
上野樹里は最近出っぱなしだねぇ。でオススメの一冊は【のだめカンタービレ】と^ ^
見事にスウィング・ガールズっぽい選びよう。確かにスウィング・ガールズは楽しめたなぁ。金がなくても、ストーリーに矛盾があっても、まいっかと思えたし。上野樹里は確かに良かったし。
のだめは当方も大好きな作品だし。
思うに、今までダ・ヴィンチに公募文学賞がなかった方が不思議だった。ダ・ヴィンチの読者と雑誌の販売数よりも多くの投稿作品を送る小説家志願者たちってかなりかぶるのではないかなぁ、って漠然と思ってたから。そういえばダ・ヴィンチって公募文学賞なかったんだ、意外~って感じ。
しかし何でもかんでもマンガで説明ってのはどうなんだろ。もう少しひねりってものがあっても良いと思うよ、当方は。
乙一のGOTHが文庫落ちか。青島広志の【オペラ作曲家によるゆかいでヘンなオペラ超入門】がちょっとおもしろそう。
むむむっ、大野豊の【全力投球】が増補改訂版で出るとな。むむ、どこらへんが増補改訂されたんじゃろ。気になる。
難波鉦異本を持ってきましたか。昨年の手塚治虫新生賞受賞で呉智英が押していたって聞いたから買って読んでみたけど確かにおもしろかった。時代物で遊郭を扱って、時代考証がしっかりしていて、なおかつあえて時代を飛び越して現代風に書いてみせる著者の力量、センスはちょいとうらやましかったのを覚えている。
そうかぁ、掲載雑誌が休刊か。どこか別のところでぜひ続編を描かせてやってほしい。単行本化したら必ず買うから。
先日株の話を書いたのでつい買ってしまったが、あんま読み方がわからない。現在解読中。
【野球スコアブックのつけ方】を買ってみた。
いや、我が所属するチームの唯一のスコアラーとして再勉強をとね(ただたんに他のヤツがめんどくさがって覚えないため)
それにしてもアマゾンでてきとーに選んだんだが、これ例に高校野球の甲子園の試合や過去の日本シリーズの試合を使ってるの。で、日本シリーズは昭和55年の近鉄VS広島の試合。あぁ、衣笠、山崎隆造とか懐かしい選手がw。
まださらっと読んだだけなので内容的にはどうだかわからないがとりあえず笑った。だってまだ木下がスタメンだった頃だしなぁww
サッカーベナン戦を見てたりする -_-
ベナンはこれが国際マッチ初なのか。←いいかげんに聞いていたので定かではない。
そういうところに引かれる自分はミーハーなんだなぁ、と少しあきれる。
まあ、点入れられたから寝よう。
先日二軍戦を見に行った<広島県内の開催だったので。
苫米地・・・
とにかくストライクが入らなければ野球にならねぇな、って思ってたら案の定ブーイングが。二軍戦でピッチャー変えろっていうブーイング。二軍戦でだよっ。
あぁ、ルーキーイヤーに見せた将来性は(TT)
二軍戦を見るといつも思う。野球選手の最大の敵はケガなのだろうなと。
昨日見かけたときは、ふ~ん、という感想だったけど、今日あらためて見ると、なんかねぇ。久しぶりに物欲がw
こういうキャラもの商品は、自分の近辺に置かないように置かないようにと気をつけているんだけど。。。 これは受ける<自分が<クワトロサングラスの自分に
まあ、たぶん買わない
山田風太郎が亡くなったと聞いた時はショックだった。
もちろん、山田風太郎も人間であるからには、必ず死ぬ存在であるわけだが、ショックだった。
しばらくぼうぜんとしてしまったことを覚えている。
倉橋由美子で読んでいる作品は【大人のための残酷物語】【アマノン国往還記】くらいしか思いつかない。他にも読んでいるような気がするのだが、思い出せない。
つまりは私の中ではそれくらいの作家だったのだろう。
が、先ほど死去との報を受けてショックを受けてしまった。
何故だろう
さすがに山田風太郎ほどではない。今はキータッチを続けながら少しずつ落ちついてきている自分を感じる
普段、あまり人の生き死に心を動かせないタチの人間のはずだ。当方は。
なぜ、目の前の苦しみを無視し、会ったこともない人の死にショックを受けてしまうのか、良くわからない。
確かに読んでおもしろいと思った。徹底的に乾いた文体は好みだと思った。出てくるキャラの没個性的(ちと違うか?)さは、当方がもっとも恐ろしく思う作家星新一を思い出させた。
が、進んでこの作家の作品を読み進めようとは思わなかった。もともと当方に凝り性がなく、飽きっぽいせいではあると思うが。
しいていえば、こんな作家もいたのか、という初読の感想の余韻がいまだに残っていたのかもしれない。
新聞の書評欄で知った本。そういや新聞で知った書籍を買うのは初めてかもしれん。
秘密主義で知られるアマゾンについて書くために、アマゾンの流通センターにバイトとして入り込んだルポルタージュ。
第3章で鎌田慧著【自動車絶望工場】に触れているが、コンセプトは同じ。鎌田が自動車業界の雄トヨタの自動車工場に季節工として潜り込んだのに対して、増田は書店界の黒船amazonに流通センターのバイトとして潜り込んだのだ。
確かにamazonというWebサイトと届いてくる商品を通じてしか交流を持たない会社の一部門の実情がわかって楽しい。
ただ、それがamazonという会社の本質を切り出すことになっているかというと悩ましい。当方バイト経験は日雇いのテント張りか、盆の灯籠売り(広島の人にしかわからんだろうな)くらいしかないので、あまり大きなことは言えないのだが、バイトの無気力(というより無感情に近いか。著者が驚いている部分は)・雇用主側とバイト側の断絶の深さ等々の著者が書いている部分は別段amazonに限った部分ではないと思う。まあ、ここらへんは著者が意識的に書いているのかもしれないから何とも言えないけど。
創造的な仕事がしたいというのは、就職活動をしている学生がマスコミのインタビューに答える常套句(ま、今はこれも古いか)だけど、果たして実際働き初めて、その後“本当に”自分が創造的な仕事を求めていたんだ、と自分に対して後ろめたさもなく断言できる人間はどれだけいるのかな、とは無気力人間の当方の邪推。
結局のところ、自分の脳みそを酷使して、ほんのちょっとの創造的な仕事から得られる見返り(満足感等)より、目標を設定され、それに向かって進んでいくという肉体?の疲労感からくる達成感で十分という人はあんがい多いんじゃないかなぁ。当方なんてそうなんだけど。
そうじゃないですか?飲み屋で課長や部長のヤロウがわかっていないだよっ、って文句を言っているサラリーマンのみなさん。
そういった感覚は、新聞の編集長になり、読む側ではなく書く側の人間である著者にはわからないかもしれない。いや、わからなくてもいいんだけど。
そういった、ただ本当に日銭を稼ぐためだけに働くバイトたち。それを最適に酷使する企業という図は著者がいうamazonがアングロ・サクソンの企業だからというわけではなく、流用労働者が田舎から出てくる季節工から都市内部に存在する“バイト”という存在に変わったからではないだろうか。まあ、それが日本がグローバル・スタンダード(古っ!)のせいでアングロ・サクソンの論理に取り込まれた社会になったからだということなら、わからなくもないのだけど。。。
確かにamazonの流通センターがシステムに優れ、他のどの流通センターよりも日本の流通事情の未来を予見するのに適しているってのはわかる。
ネット書店が次々とオープンした年、当方が使っていたのはbk1だった。amazonの存在は知っていたが、大学生のためカードなど使わなかったし、そのころはネットでカード情報を登録するなんて狂気の沙汰に思えたので見てるだけがおもだった。(あと大阪屋とesを少々使っていたか)
それがamazonを使うようになったのは、bk1のサイトの重たさのせいだった。いや、大学時代はケーブルテレビの回線を使っていたので大丈夫だったのだが、田舎に帰りダイヤルアップになるともうダメだった。
知人に相談したところamazonのサイトが優れているとの助言を受け、おそるおそる使ってみたのだが確かに快適。以後amazonで購入本の半分くらいは手に入れるという日々が続いている。(最近はbk1やセブンアンドアイもかなり良くなったみたいだが)
同じくamazonを扱った本で、松本晃一著【アマゾンの秘密】があるのだが、アマゾン・ドット・コムの光と影が下から見たamazonとするなら、こちらは上から見たamazonといったところか。amazonの立ち上げからコンサルタントとして関わった著者が書いた本である。ちなみにamazonとの雇用契約には退職後もamazonの内部情報については一切公言してはならないとの条項があるというのは有名な噂だが、著者は正式な社員契約ではなくコンサルタント契約なので、この条項からは自由なのだ。おそらく著者が正式な社員契約を結ばなかったのはこの条項の存在が大きかったのではないか。
アマゾンの秘密で語られていることのひとつに、amazonの開発環境の良さがある。スタッフには『最新のパソコン環境とソフトウェアの利用が約束』されており、『プラットフォームに依存しない作業環境』『それぞれのパソコンの自由度は高く』といったコンピューターに関わる者にとっては最良の環境が整っている。いくら社内のパソコンとはいえ、個人パソコンになんでもかんでも介入してくるどっかの会社に見習ってほしいものだ。
そういった望まれた環境から生み出されるシステムがamazonのサイトを他社よりも優れたものにして、ネット書店の雄として君臨する要因なのだ。
下から見ても、上から見ても、そこに出てくるのはamazonのシステムのすごさ。増田氏がamazonには本好きの社員がいるのだろうか?流通センターから見るととても本屋とは思えない、と思ったのも当然。amazonの核はシステムなのであり、そのシステムを生み出している社員は別に本好きでなくてもかまわないのだ。かくて、amazonの商品を発送する流通センターは、本といういちおーの知的商品を扱う職場にして、もっとも知的創造的な職場とはほど遠いものになるのは当然の帰結といったところか。
正直興味がだいぶ薄れてしまったのだが、みなサッカーを見に帰ったので、なんとなくおもしろくなく帰途につく。つけば見る。勝利。あー、ワールドカップだあ。
実感。当方のサッカー熱は完全に冷めた。何もかんじねぇ。
むなしさに耐えつつ、一人職場で仕事しとけばよかった。自分が歳をまたとっちまったと実感した今日この頃
ろじぱら6月7日の日記
この日記を読んで、長谷川慶太郎の言ってたことを思い出した。
長谷川慶太郎は、時代がデフレへと突入し、これは絶対不可逆の流れだと断言し、これからは売り手にとっては現状にとどまるのも地獄、進むのも地獄の時代となると予言した。
その課程で日本企業の中国進出は必ずさけて通れない道だと言っていたが、これは最近の反日テロを見て考えをあらためた模様。
個人の投資に関しても、今までのとりあえず銀行に預けとけの投資戦略では、リスク管理として不十分とのこと。買い手としての個人としては天国なのがデフレだが、資産運用面でいけば、リスクと努力が必要になる時代がデフレ。
とどまるも地獄、進むも地獄なのは個人だって一緒なのかもしれないのだ。
これをイヤな世の中ととるか、個人の能力によって大きく差がでる公平な社会と見るかは、人それぞれ。
当方株は未体験。だってめんどくさいんだもの。。。
まあ、いつかは
いつかっていつだよっ
![]() | 2005長谷川慶太郎の世界はこう変わる 仮 長谷川 慶太郎 徳間書店 2004-11-30 by G-Tools |
![]() | 安全、有利な資産運用法―賢い投資家を支援する 長谷川 慶太郎 ビジネス社 2003-03 by G-Tools |
100号特集なんで特に言及するところなし。 あっ、ローソンで買ったので【宇宙戦争】のクリアファイルがついてた。
アインシュタイン特集。
かなり力の入った特集で素人にも非常にわかりやすい。
なぜ光速に近づくと時間の流れが遅くなるのかを図示していて感覚的な理解が可能。
例図としてはこちら。(アインシュタインの相対性理論より)
アインシュタインが一番好んで説明に使っただけあって、この光時計を理解できれば光の速度は常に一定だということと、時間は絶対ではなく変化するもの、ということを納得できる。
SF等で光速に近づけば時間の流れは遅くなるという知識はあったのだけど、何故っていうのは長年スルーしてきた課題であった。知人から、この光時計で説明をされた時、高校でならったはずの微分積分がこれっぽっちも入っていない完全文系脳でも理解できた。
すごいな、アインシュタイン。すげえや、相対性理論。ビバ、光時計(現実にはそんなものないけど)
アインシュタインの説明本では【アインシュタインの宿題】がオススメらしい。現在読書中。
![]() | アインシュタインの宿題 福江 純 光文社 2003-09 by G-Tools |
![]() | 毎日かあさん2 お入学編 西原 理恵子 毎日新聞社 2005-03-26 by G-Tools |
NHKの朝の連ドラの表題を書く西原理恵子の本。
予想よりもおもしろかったなぁ。鴨(元旦那)との話も描かれてて。
やっぱりもの悲しいけど
子どものことで学校に呼びだされたと思ったら、実は自分のマンガが原因だったという話はサイバラの面目躍如といったところか。
さすがは退学になった高校を自力で訴えただけはあります。さすが。
あー、どうしよう
逃げてもいいですか。
逃げてもいいですかっ。
ホント人前で話すの苦手なんだよなぁ。特に結婚式のスピーチなんてっ
あぁ、中学時代の友人の頼みだから断れなかったけど、ホントにダメなんだってば。今からでも佐○木に交代ってありですか。もうムリですか。明日だもんね。そりゃそうだ。逃げてもいいですか?
この一週間そればっかり気になって、何も手もつかず。おかげで仕事はミスり、本来なら明日だって仕事したいんだよっ、ってのは逆ギレです。責任転嫁でございます。
あぁ、仕事で話すのなら何ともないんだけど。プライベートでしかもフォーマルな場でマジメな話ってのが一番できない。あぁ、お子さまな私。
とにかくマジメな話ってのができない体質なんだよ、きっと。だから逃げてもいいですか?
あぁ
昔はマジメに書評を書かなきゃなと思ってた。
でも今はあきらめてしまった。
ちゃんと内容紹介して、その本のポイントに自分の意見つきで触れてなおかつ批判点を付け加えるのが書評。ってな感じだと書評なんて書けないんだよね。
知り合いの書痴のように、読んだ本の内容がきっちし頭に入っていて、即座に本の要約ができるというのならともかく、当方、いいかげんですから。
amazonというあらすじ・概要を紹介してくれて、ちゃんとしたレビュアーの評が載っているWebにリンクを張れば、あらすじ紹介しなくていーじゃん→ちゃんとした評は他にあるんだから好きなこと書いてしまえ。という思考方法にはちょっとというかかなりの飛躍があると自分でも認めざるをえないのだが、今はそれでやっている。
本の感想を書くってのは結構体力が必要で、しかも好きな本ほど書くのがむずかしい。やっぱり、その本を読んで感動したところがあれば、それをちゃんと形にしないと納得できない。で、うんうんと悩む。夜は更ける。あきらめて寝る。次の日も悩む。夜は更ける。結局あきらめる。
んで、そんなことやっていたら肝心の読書時間さえも削ってしまうわけだ。別に書評書くために本読んでるわけじゃないしなぁ、っていうのは自分内常識担当人のツッコミ。
だから、今は本の感想というよりか、その本を読んで妄想したことをスタート点にして読書メモを考えることが多い。自分の中ではつながっているのだが、他人にはまったくわからんよな、っていうのをどうつなげるかっていう思考方法が自分には性に合ってる、ような気がする。
ただかなりの遠回りの思考方法だし、いきおいだけの産物ではあるし、もっと効率のいい方法があればそっちに乗り換える予定。でもあんま効率が良すぎる方法だと、書く意味を見失ってしまうかもしれんけど、ってのはどうでもいい話で。
だがら、かなりの誤字脱字があるってのは自分でも気づいているのだけど、めんどくさいから直していないのはすいません。だって、そこ直すのならもっと手を加える場所があるだろって自分内ツッコミが入るからね。自分の納得のいくものを基準点にしてると絶対更新なんてできない。ってのは、いいかげんな奴のいいわけでしかないけれど。
つまり何を言いたかったかというと、徳保さんお褒めにあずかり光栄ですってことです。あぁ、恥ずかしい。