異世界と心への旅
小野不由美十二国記シリーズの第一巻。普通の女子高生陽子のもとに、突然ケイキと名乗る不思議な男が現れる。その日から陽子の生活は一変してしまう。ケイキにいざなわれるまま月の影を越えてたどり着いた所は、陽子の全く知らない世界だった。そこで陽子は異分子として追い立てられ、正体のわからぬバケモノに襲われる。突然異世界に流れ着いた陽子の運命は。ケイキとはいったい何者なのか。
――どこに帰るつもりだったのだろう。 待っている人などいないのに。陽子のものは何ひとつなく、人は陽子を理解しない。騙す、裏切る。それにかけてはこちらもあちらも何の差異もない。 ――そんなことは分かっていた。 それでも陽子は帰りたかったのだ
本書は、普通の少女がある日異世界に紛れ込み、そこでいろいろな経験をするという、ファンタジーの王道なストーリーである。
だが、本書の本質はそこにはない。
ビルドゥングス・ロマンなのである。
主人公の陽子は、異世界に一人でとりのこされる。
そして異世界の住人にことごとく欺かれることになる。
異世界ではじめて親切にされた人に騙され女郎宿に売られそうになる。
また自分とおなじく日本からこの異世界に流されてきた同胞にも騙され有り金を盗まれる。
そして誰も信用できなくなる。
死にそうになっている陽子に水を分け与えてくれた親子を信じられず遠ざける
怪我を直してくれた半獣楽俊をも信じられず、自分の巻き添えになり怪我をした楽俊を見捨ててしまう。
陽子は自分をも信じられなくなったのだ。
人は己を基準にして物事を考える。己が人を無条件で助けることができる人間だと信じられなければ、他人もまたそうだと考える。相手の親切の裏になにかあるのではと考える人は、自分が裏のある人間になっているのだ。困っている人がいれば手をさしのべる、そんな当たり前のことを『自分』はできると信じてやらなければ、他人の当たり前の親切を素直に受けることができない。
本当の意味で、陽子は孤独になるのだ。
そこで陽子は自分の過去を振り返る。
はたして自分は本当の意味で「生きていた」のかと。
波風を立てずまわりと同調することで、穏やかに生きてきた。そのつもりだった。ただそれは、まわりの人を最愛に思い仲良くやってきたのではなかった。単に人と対立するのが疎ましかっただけなのだ。目の前の存在に従うのは、敬っているからではなく、その人に対して己の正しさを主張するが面倒くさいだけだから。とりあえず笑っておけば状況から取り残されることもないし、何も言わなければ集団から浮き出ることもない。ただただ、状況に適応していきてきただけ。そんな過去に自分の生とよべるものがどこにあったのか。
陽子は異世界を旅することになるが、ひとりになることで己の内側へも旅立つことになる。
ただまわりにあわせていけばいいという状況から、誰も信じられず敵意あるものが襲ってくるという状況に置かれた陽子は、『自分』と向きあわざるをえなくなる。襲ってくるバケモノを自分一人でどう対応すればいいのか、目の前にいる初対面の人に対してどう対応していけばいいのか。問題の先送りはできない。なにせ自分の選択に自分の命がかかっているのだ。陽子は自分に何ができるのか、自分は何者なのかを考える。考えざるをえない。はじめて陽子は自分の中にある『自分』と対面することになる。
異世界での旅と、己の心への旅は、おなじことなのだ。本当の自分を探すという目的において。